top of page

​犬神憑き

​参.悠久の日々

 犬神「おまえは何故、神の居らぬ社に留まるのだ?」

カガリ「ははっ、どこかで聞いたようなセリフだな。…私は、人が好きだ。
    儚く弱き人の子が、成長していく様を見るのが楽しくてね」

 犬神「滑稽だからか?」

カガリ「いや、違うな。悲しみに涙し、苦しみを乗り越え、
    時に互いを支え合い、他の者の喜びを己のことのように歓喜する。
    それらを繰り返し、その命が散りゆく日まで駆け抜けてゆく姿は…美しい」

 犬神「……」

カガリ「そなたの主もそうであろう…?」

 犬神「ふんっ…ねぇな。こいつは塞ぎ込んでばかりだ。

    己に流れる血が…俺の存在が心底憎いんだろうよ」

カガリ「それはどうであろうな?」

 犬神「…何が言いてぇ?」

カガリ「そなたが主を想うように…主である入江もまた、

    そなたのことを大事に想うておるのではないか?」

 犬神「……それは…ねぇよ……」

カガリ「ふふ…そろそろ入江が目を覚ます頃であろう?
    そう思い悩まずとも、入江に尋ねてみるが良い。」

 犬神「だ、誰が悩んでいるものか…!!」

カガリ「おや、客人だ。私はあの者の悩みを聞かねばならぬ。
    犬神、己の想いに正直になることも大事であるぞ。」

 犬神「阿呆!」

(振り返らぬまま、カガリは「またな」とでも言うようにひらひらと手を振る)

 犬神「神の真似事に執心しおって…ったく。…そう容易いことではないのだぞ……」



拝殿の前、両手を合わせる老婆のもとへ

歩いてゆくカガリの後ろ姿を見送りながら、犬神は小さく息を吐いた。

どれほどここにいたのか、既に陽は傾きかけている。

「悩んでなど…いるものか。俺は…」

呟くように言いかけて、口を噤む。

己の左手が獣のそれから人の手に変わりゆくのを一瞥し、足早にその場を後にした。

 

bottom of page