Far-off Voice
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番外編
参.秋廿side
人 一人の一生に用意された選択肢には限りがある。そして当然、それには相応の結果が伴うものだ。
今、俺の目の前には一人の少年がいる。
6畳ほどだろうか。コンクリート造りの薄暗い部屋の隅で膝を抱えて俯いている。
これも俺の選んだ結果のひとつなのか、それともこれから迫られる選択のひとつなのか。
ひとしきり考えた後、特に何も分からないまま、俺は少年に話しかけた。
とりあえず「はじめまして」と。
だけどその声は、背後から聴こえてきたガラスの割れる音に掻き消され、
続いてヒステリックな女性の叫び声が部屋を突き抜けた。
何事かと振り返る。
その先には微かに光の漏れ出している扉が見えた。
夫婦ゲンカだろうか…?
言い争う男女の声が弾丸のように飛び交っている。
「あなたがもっとあの子をみてくれないから!!」
「それはお前の仕事だろう!子供の躾も満足に出来ないのか!!」
同じような内容の会話が途方もなく繰り返されているということは、
事情を知らない俺でも少し聴けば理解出来た。
扉の向こうに気を取られていると、
ふと部屋の隅から聴き取れるか聴き取れないかくらいの小さな声がした。
「大丈夫」
少年は俯いたまま、そう何度も何度も呟いている。
「大丈夫・・大丈夫大丈夫…だいじょ、だいじょうぶっ・・大丈夫・・・」
それは自分に言い聞かせているというよりも、必死に助けを求めているようで。
膝を抱く小さな体はカタカタと小刻みに震え、今にも消えてしまいそうだった。
これが彼の日常なのだろうか。
もしもそうなら、俺はどうして此処にいるのだろうか・・。
降り出した雨は土砂降りで、何もない部屋の小さな窓を叩く。
「こちらへおいで」と呼ぶかのように。
現状を上手くのみこめない俺はその場に立ち尽くすだけで、
少年にかける為の優しい言葉も見つけることが出来ないでいた。
いったい何を試されているのだろうか?
浮かんでくるのはそんな自分本位な疑問ばかりで、それすらも答えが見つかることはなかった。
グラスの割れる音、飛び交う怒声、呪文のように繰り返される「大丈夫」という言葉。
もし何か行動を起こしたとして、自分が彼の現状を、未来を変えてやれるとは到底思えない。
俺は神でなければ、魔法使いでもない。
だから、
・手を伸ばして「大丈夫だ」と抱きしめてやる
・夫婦ゲンカの仲裁に入って和解させる
・何も見なかったふりをして何もせず逃げる
俺の持っている選択肢はせいぜいこの3つだ。
どれも安易で、何の解決にもなり得ないその場凌ぎの行動に過ぎない。
その上、3つめは人として最低な選択肢ときてる。
まあ、どうせどれを選んだとしても都合のいい展開は待っていないだろう。
期待するだけ無駄。人生ってそんなもんだ。少なくとも俺はそう悟っている。
過去を変えることは出来ない。
今、この瞬間も1秒後にはどうすることも出来ない過去になる。
俺は傍観者のまま、これから先この少年のことを思い出しては自責と後悔を繰り返し、
苦しみながら生きていくことになるんだろう。
でも、俺は何も出来なかったんじゃなくて何もしなかったんだ。
もう何回目だろう?
変えるのが怖くて、変えられないのが怖くて、
向き合うのが怖くて、差し伸べた手を握り返すぬくもりが怖くて、
怖くて…怖くて、怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて赦されるのが怖くて!!
だから、少年が最期に言った言葉も聴こえなかった。聴こえないふりをした。
飛び降りる寸前、彼はたしかに「ありがとう」って言ったのに・・
俺はそれを止めることも出来たはずなのに。
・・また失ったんだ。